2020/10/24
何度か書こうと思っていたが、書かないまままたきてしまった。
これまでの出来事をメモとして振り返ろう。
9/27-30 父母、函館へ旅行
ギリギリまで行くか考える。旅行当日の朝、駅についてから法事ができてしまう。が、兄に対応してもらい父母は最後の旅行に向かった。
この頃から母は便秘。腹痛も強く、薬を頻繁に服用。食事も取らなくなる。水さえも胃が痛くなってしまい、薬の時に水を取るのが精一杯。1日の水分は氷三つ程度。
9月末 結婚指輪を購入
10/8 結納を自宅で滞りなく済ませる
母は食事会には参加せず。
午後は訪問看護さんに診てもらい明日の通院で何か医師に聞けることがないか確認。
10/9 通院。私も仕事を中抜けし一緒に立ち合う。自宅ではぐったりな母が病院ではシャキッとする。医師に状況を伝え、最終的に入院させてもらう。便秘11日目。
腸閉塞が起こっていた。
10/19 腸にステントを入れ、胸元に皮下注射ができるよう埋め込んでもらう手術を無事完了。
10/22おかゆのような白湯を食べ始める。が、便がでず…
鼻から胃に管を通して圧をかけてもらう。
苦しいと連絡あり。
本日、入院中でもラインやりとりはまだ出来ている。ただ疲れやすく、リハパンはサイズダウン。入院時はmだったが、きつく Lを持って行くが、今はsに。骨と皮だけどラインだけで、下の介助もあるようで悲しいと書いてあった。
何もできないし、会えない。
月曜日は、先生とケアマネと退院後の在宅医療、訪問看護や食事や点滴について話を伺う。その時に会えるといいなぁ
今夜は父と夕飯をゆっくり食べた。
その後、母の事を話しながら二人で涙してしまったが、笑い話もしながら過ごした。
父も今日は話せてよかった、よかった。一人で悩んでなくてよかった。話すっていいね、お母さんはいつもうるさいー!って言うんだからと笑っていた。
今夜は父も私もぐっすり眠れそうだ
2020.09.22
2020.09.22
2020.08.11
あっと言う間にのんびりな週末が終わり、火曜も終わった。
帰宅して母と夕食の献立と排便状況についてほんの少しだけ話をして、彼女は部屋に行ってしまった。
父が外に出て中々戻ってこないので様子を見にいくと椅子に座って天体観測をしていた。
お米研ぎも終え、お風呂に入ろうとしていたが、風が心地よく、一緒に天体観測に嬉しくなり私も15分程度空を眺めていた。
大きなキレイな流星が一つ見え、思わず声をあげてしまった。父は見ていなかった。
お風呂上がり、母の部屋にいくと暗い部屋で横になりまだしっかり起きていた。
昼間は何もやる気が出ず、父と死へのカウントダウンだねなんて話していたと言っていた。そんな話を聞くと言葉が見つからない。 暑さもあるのでないか?と否定したい気持ちと複雑な感情を出さないように答えた。
寝る前に母の頬に私の頬をちょこんとくっつけた。お腹は触らない程度に撫で、おやすみをした。
あぁ、母がいてくれるから私の毎日がある。
大きな心の支えです。
2020.08.10
日中はものすごい暑さだったが、今ベッドに横になり夜風に当たっている。なんて心地が良いのだろう。カエルと鈴虫の鳴き声が聞こえる。
昨日家族3人でクーラーのついた同じ部屋でゴロゴロしながらテレビを見たり、おやつを食べたり。午前中にお買い物をして、母と外でアイスを頬張った。
昨日は仕事から帰ると、私の服のほつれを直してくれていた。裁縫姿の母は素敵だ。
終わった後も、きちんと畳んでソファーにそっと置いておいてくれた。縫い目をみて上手さに感心してしまった。
昨日も多くは言葉を交わさなかったけれど、一日一緒にいれて心が穏やかだった。
尿管のステントを入れてから、尿が茶色く濁ったり、その前から(ある日を境に)べんに赤く筋が出たりと体に何か起こっているようで痛みも感じているよう。
介護の仕事を2年だけしてお陰で、排泄に対する抵抗はなく、バロメーターチェックの為に確認させてもらった。
昨日母がふと、17日の抗がん剤治療の件、どうしようと声に出した。
抗がん剤治療は、体が限界にきている為、受けられないとのことだか、次回の血液検査をみて、場合によっては飲む抗がん剤治療が受けられるかもしれない。
私としては、毎日母がいてくれるこの何気ない日常が心のバランスを保てている。
母としては、治療をしない1ヶ月は体への負担が少なく、また始めて副作用がなぁと懸念していた。
私はして欲しい気持ちでいるが、本人の体調や副作用のことを考えるとそれ以上、治療を希望することを伝えることも言いづらくなる。
来年の桜観れるかなぁと声にしていた。
うん、みよう。そう心でつぶやいた。
今日も夜空に向かって、母が長く生きてくれることを願う。
母は嫌がるけれど、ぎゅっと抱きしめたいなぁ
2020.08.05
2020.07.31
久々に書こうとここにきた。
今日、母の抗がん剤1回目の治療で朝彼女を送った。うとうとして会話はほとんどなかった。
血液検査後、肝臓が炎症しており、腸に穴が空く寸前であることが判明。このまま治療は受けられないとのことで、CTを受けた。
結果からすると、もう身体に限界がきていて、治療は受けられないことがわかった。
飲み薬の抗がん剤、排泄物を外に出すための機能をつける手術の方法があるとのことだった。
余命を先生に聞くと、「自分ではどう思う?」と返されたそう。
3ヶ月から半年かなと伝えると医者は笑って何も言葉を返さなかったと。
急いで仕事終わりに帰宅して、上記の話を母から聞いた。
覚悟はしていたから大丈夫。
普通なら穴が空いていてもおかしくなかったようなので、これから体調が急変する可能性が高いことがわかり、母はそう遠くない未来に自分がいなくなってしまうことを話してくれた。
いつも憎まれ口を叩いていた父が涙を流していた。診察の時、医者からの笑って返答があった反応を見て、それから一切言葉を発さなかったと母が言っていた。
朝から晩までお酒を飲んで、何もしないで寝てしまうことがここ数年続いていた。やる気が起きない時は見ているこっちも不快なほどであった。母にとっても大きなストレスになっているとこの際、伝えた。
きっとやめられないのだと思う。
泣いてもその時だけだと思う。
と私と母はとっくの昔に期待することを諦めた。
残りの日々をどう過ごすか。
母は涙は見せず、父の泣き顔に死んでから泣いてちょうだい。花にティッシュ詰め込んできたないー!と嫌がっていた。
母の方が精神的に安定をしているように感じた。
進行していることを改めてつきつけられ、平穏な日々がもうわずかなのかと感じると言葉が見つからない。
仕事復帰を考えていたが、体が限界のよう。
母が落ち着いているので、残りの時間でやることリスト、終活を考えていた。
やりたいはなく、身の回りの整理をすると言っていた。
私には何がどこにあるなど、教えてくれ、亡くなってからのことを気にしていた。
父母のことは気にしないで、年内に結婚でかければ、母の意識があるうちにと今日改めて言われた。出来ないなら、父が兄が紹介すると言われた。
彼に連絡し、残りがわずかに迫ってきていること、先日話した結婚の挨拶にくる意思が決まったら来てと伝えていた件の返事を今日改めて聞いた。
彼もタイミングを見ていたとのことで、お盆前後でくるとこで予定し、後日色々なことを打ち合わせすることにした。
貴方からのプロポーズ待ってたけど、まだみたいだから、この際この電話で言った。
私についてきてと、重くならずに。
ずっと躊躇していたけれど、また少し前に進めた。
母がずっといてくれるものだと思っていたけれど、、、明日はお花を一緒に植えよう。