2021/07/15

f:id:ruddertab:20210715000008j:plainf:id:ruddertab:20210715000125j:plain闘病生活のメモを残し、書かなくなってから8ヶ月も過ぎた。この半年は濃厚だった。


2021/12/31 母は眠りについたまま眼を開かず、呼びかけにも反応せず。でも体は温かい。

一緒に紅白を聴いてカウントダウンをした。

あけましておめでとうを一番初めに眠ったままの母に伝えた。その後は病室の脇の簡易ベッドで朝まで寝た。

元旦朝に父と交代し、また夕方来ることにした。


2021/01/01 17:45 午後から家族と交代し、母の好きなオルゴール音楽をかけ、言葉に出来ないを何度か歌った。眼を覚さない母の手をずっと握ったり、ハグしたり、おでこにキスしたり、お顔を撫でたり。子供の頃のようにベタベタした。いつもハグしようとすると嫌がる母も終末期には触れる事に抵抗がなくなってきたようだった。

子供の頃、私が悪さした時に、頬を引っ叩いて叱ってくれた事が一度だけあった。近所の子に謝りに連れて行ってもらった事は今でもしっかり記憶していた事を感謝の言葉と共に、母が私の母でいてくれて幸せと耳元で伝えた。

また生まれたら沢山、一緒に旅行に行こうね、

またお父さんお母さんの元に産まれてくるからね、

またお母さんと何十年後かに会うから、それまで私やお父さんを見守っててね。

また必ず会おうね。それまでこっちで色々な事を経験してくるからね!と言葉にして伝えた。


1720頃、母のおでこにキスをした。

その少し前から目がほんのわずかにあいていて目が合うようだった。この頃には手足の先が冷たくなり始め、もう時期お別れが近いのがわかった。必死で手足を温めようと擦っていた。私の感情は悲しみや不安、感謝や温かさの中で感情のゼットコースターに乗っていたが、落ち着いた頃、母のおでこにキスをした。


キスをしたら、母の表情が変わりそれまでとは異なる呼吸をした。ゆっくりと息を吸い、目をぎゅっとつむり、二度と息をしてからふっと抜けたような感じだった。??何が起こった?お母さん?何か言おうとしていたのがわかった。でもその後、母を呼ぶが反応がない。急いでナースコールをした。その間に父と兄、叔父叔母に電話し、お母さんが!とお母さんが!と状況を話すが少しパニックにもなっていた。

その後、3回ほど止まりそうな呼吸をゆっくりしてくれ、母は私が見守る中、父兄の電話の声を聞きながら息を引き取った。


ドラマの最後のシーンのような!なんだよお母さん、こんなの!とお母さんに何度も言った。

彼にもその後電話して報告した。

その後、父兄が駆けつけるまでの事はあまり覚えていない。母の側で母の手を握って、感謝の気持ちを伝えていたのだと思う。


父兄が入ってきて、父は母の手を取り涙しながら お母さん、お母さん、、、がんばったねぇ、がんばった。と声を震わせていた。それを見て私も涙が止まらなかった。兄は涙を滲ませていたが、流さなかった。


40分ほどだろうか、家族四人で過ごした。

息を引き取った母にそれぞれがお別れと感謝の気持ちを伝えながら。


ナースから一緒にメイクをしてはどうかと聞かれ、一緒にさせてもらった。この時には、母が亡くなった事よりも母のために今出来る事が嬉しく愛おしく、温かい気持ちに包まれていた。


2021/3/12 母の誕生日に彼と入籍した。

生前、母にその日に入籍したいと伝えたいた。

もっと早くと母や家族から言われていたが、彼も私に合わせてくれた。


2月後半から彼の両親と同居を始め、今はこちらが私のうちになりつつある。

母の納骨も先週おえた。

父と兄に母の遺骨を米粒程度分けてもらう許可を得て、ペンダントに母の遺骨を入れ、嫁ぎ先に持ってきた。もちろん火葬の時の六万銭も。

旦那様が私の欲しかったお鈴花瓶セットを誕生日に買ってくれ、母の写真と共に部屋に飾ってある。納骨してもいつも母は私と共にいると強く思える。


だから会えなくても、時々涙する事があっても、写真や遺骨に向かって祈る。不安なこともいいことも。いつも一緒だよ、と仕事中も、寝る前もいつでも空に話しかけている。