2020.07.31

久々に書こうとここにきた。


今日、母の抗がん剤1回目の治療で朝彼女を送った。うとうとして会話はほとんどなかった。


血液検査後、肝臓が炎症しており、腸に穴が空く寸前であることが判明。このまま治療は受けられないとのことで、CTを受けた。


結果からすると、もう身体に限界がきていて、治療は受けられないことがわかった。

飲み薬の抗がん剤、排泄物を外に出すための機能をつける手術の方法があるとのことだった。


余命を先生に聞くと、「自分ではどう思う?」と返されたそう。

3ヶ月から半年かなと伝えると医者は笑って何も言葉を返さなかったと。


急いで仕事終わりに帰宅して、上記の話を母から聞いた。


覚悟はしていたから大丈夫。

普通なら穴が空いていてもおかしくなかったようなので、これから体調が急変する可能性が高いことがわかり、母はそう遠くない未来に自分がいなくなってしまうことを話してくれた。


いつも憎まれ口を叩いていた父が涙を流していた。診察の時、医者からの笑って返答があった反応を見て、それから一切言葉を発さなかったと母が言っていた。


朝から晩までお酒を飲んで、何もしないで寝てしまうことがここ数年続いていた。やる気が起きない時は見ているこっちも不快なほどであった。母にとっても大きなストレスになっているとこの際、伝えた。


きっとやめられないのだと思う。

泣いてもその時だけだと思う。

と私と母はとっくの昔に期待することを諦めた。


残りの日々をどう過ごすか。

母は涙は見せず、父の泣き顔に死んでから泣いてちょうだい。花にティッシュ詰め込んできたないー!と嫌がっていた。


母の方が精神的に安定をしているように感じた。


進行していることを改めてつきつけられ、平穏な日々がもうわずかなのかと感じると言葉が見つからない。


仕事復帰を考えていたが、体が限界のよう。


母が落ち着いているので、残りの時間でやることリスト、終活を考えていた。

やりたいはなく、身の回りの整理をすると言っていた。


私には何がどこにあるなど、教えてくれ、亡くなってからのことを気にしていた。


父母のことは気にしないで、年内に結婚でかければ、母の意識があるうちにと今日改めて言われた。出来ないなら、父が兄が紹介すると言われた。


彼に連絡し、残りがわずかに迫ってきていること、先日話した結婚の挨拶にくる意思が決まったら来てと伝えていた件の返事を今日改めて聞いた。


彼もタイミングを見ていたとのことで、お盆前後でくるとこで予定し、後日色々なことを打ち合わせすることにした。

貴方からのプロポーズ待ってたけど、まだみたいだから、この際この電話で言った。

私についてきてと、重くならずに。


ずっと躊躇していたけれど、また少し前に進めた。


母がずっといてくれるものだと思っていたけれど、、、明日はお花を一緒に植えよう。